熱い想いと冷めた現実
熱く熱く煮えたぎるかのように、支援に対して猛烈に熱い想いが溢れ出す時があります。
私は表情に出ないので気付かれないことも多いのですが…でももうみなさんはお気付きですよね。
ある日利用者に、もっと外出しよう、地域(グループホームなど)に出てみようと投げかけたことがあります。それが正解だと疑いもせずに(あの頃は若かったなぁ。熱い想いがダダ漏れしてました。いや?今もか…)
しかしその利用者は、
嫌だよ。外出ると変な目で見られるし、ここ(入所施設)の方が安心出来る
と言いました。
ですよね。利用者と社会に出ると確かに痛いほどの視線を感じることもあるし。歩いてるだけで、見ちゃいけない的な雰囲気があったりします。
誰にとっても平等であるはずの空の下を歩けない人がいる。誰でもが平等に堂々と空の下を歩けるように社会を変革したいー
↑これは今でも私個人の理念として、これに向かい日々奮闘しています。夢で終わらせたくないと本気で考えています。大切にしている想いです。
ただね、利用者に外出が嫌だって言われた時、気付いたんですよ。
外出した方がいい、地域に出た方がいいと支援者は推進しますが、その際に一番痛みを感じるのは利用者だと。
勝手に自分の理想のために利用者を犠牲にしてたんですよ。
しかもそのことに気付かず、意気揚々と人権擁護を高らかに掲げて。
またやってしまった…
反省と後悔と情けなさと、色々な思いがモヤモヤとしました。
でもね、また思い直しちゃったんですよ。(本当に反省が続かなくてねぇ…凸凹してるわ、私)
入所者は長いこと社会から隔離されてきた現実がある。入所施設の中にはコロニーみたいな施設も多く、施設内に何個も公園があり、売店があり、グラウンドやテニスコートやプール、体育館、図書館…なんでもあるところも多いです。その中だけで生活が完結出来るのです。そりゃ今さら社会に出てさらし者になんかなりたくないですよね。
以前は障がい者はそうやって保護(私からすれば隔離)されてきたのです。
ただね、生活に支障はないとはいえ、所詮は施設の中ですよ。生活の幅・選択肢の幅は狭いですし。井の中の〜ってやつです。
しかーし、長い入所生活の中で、そのことに(安心とはいえ所詮ちっちゃな生活の幅)すら気付く機会もなかったのでは?
柵の中(施設の中)は安心・安全ですよ。差別されたり偏見の目で見られることもない。
だけどさ、本当にそれでいいの?
毎日栄養管理された食事じゃなくカップ麺食べたりさ、決められた就寝・起床時間に寝起きするのではなく、好きな深夜番組を楽しんで翌日寝不足になったりさ。
それが制限されていない自由であり、自分の人生を自分で楽しむことにつながるのでは?もちろん失敗しながらもね。失敗する自由を保障することも大事。
それにね、平等になりたいと願うなら、やっぱりみんなに知ってもらわなきゃね。障がい者への偏見をなくすには、社会に出て知ってもらうことが大切。でもそこには利用者の痛みが伴う。その痛みに敏感に気付きどう支援していくのか。私たち支援者の課題ですね。
という真面目な話題をふりつつも、そもそも利用者全員が外に出てみたいわけでもなく、もっと自由に生きたいと願っているわけでもなく、おせっかいな支援者がいるもんだと思っている人もいるわけで…
平等に。自由に。笑顔あふれる毎日を。
なんていう私の”想い”は、障がい当事者ではない私の勝手な”思い込み”であることを忘れてはいけません。
想い=思い込みの支援が一番怖いね