人権。知る権利。どこまで?
先日、出生前診断の記事を読みました。
そして、そういえばまさにその制度が始まる時に大学生だった私は、
社会福祉原論という名の講義で、出生前診断の是非を問う質問を投げかけられたことを思い出しました。
当時の私は、
どちらでもない。
という答えを出しました。
そしてその講義の教授は、私たち学生に散々是非の意見を聞いたあげく、真っ二つ+グレー1名(えぇ。私ですよ)に割れて紛糾している学生たちを傍観し、みんなが欲しがっていた「答え」をくれず、微笑みながら講義を終えて去っていきました。あれこそ、ノーコメントというのでしょう。
講義後、みんなが え?… となりました。
私の原点のような出来事です。今思い返せば。
答えなんてないよ〜。悩み続けるのよ〜。
と言われたような、教授の微笑みでした。
みなさんは出生前診断について、どう思いますか?
私の答えは変わっていません。
学生時代と変わらないなんて、成長してない私。
当時は福祉に携わる気もなく(所属は英語科でしたしねぇ)、なんとなく受けた他学科の講義での、なんとなく不思議な感じがした出来事でした。
出生前診断。難しいです。
命は大切。平等。診断なんてせず、どんな命も受け入れて。
診断を受けることで、リスクを回避したり、心構えが出来る。
診断後、育てられる自信がないなら産まれてきても不幸だから、……もありなんじゃん?それもその子のため。
色んな意見があります。
現実、出生前診断が始まって、実際に診断を受けて胎児に障がいがあると分かった妊婦さんが堕胎するケースが多いとも聞いています。%は正確には分からないらしいです。
規制がある中で、出生前診断を受ける対象でない方が認定を受けていない産婦人科で出生前診断を受けて堕胎しているケースもあるとか、ないとか。
それはさておき。
というか。出生前診断なんて、たかがツールに過ぎません。
ツールの是非?
ツールなんて使い方によって、どうとでもなります。
問題は、
障害を持つ子を育てる、あるいは、障害を持つ人が生きるには、
今の日本社会では困難さが伴うってこと。
障害者が安心して暮らしていける社会なら、出生前診断をしてもさほど問題にならないし、そもそも診断を受けなくてもいいと思う人も出てくるかもね。
そうなるには、まだまだ遠い私たちの社会。
どうにかしたい。
変えていきたい。
変えることを諦めたくない。
しみじみそう思いました。
あとね、学生時代とちょっと違う視点が一つ。
今回改めて出生前診断を考えると、
胎児ってお腹の中で命を刻んでいるのだから、「人」としての人権ってどうなるんだ?意思がないと決めつけていいの?
胎児の個人情報(遺伝子異常など)へ勝手にアクセスしていいの?本人(胎児)の同意を得ずに?
なんて、また不思議な迷路に迷い込みました。
世間の人からその視点を批判されても、実際に無意味な視点だったとしても、
私はそういう視点を大切にしたいと思う奇人です。
だって、どんなことも議論する視点を持たなくちゃ。カウンターチェック出来ないじゃん。
奇人にしか出来ない発想もね。ごく稀に役に立つかもよ?
その稀の時を待ちながら役に立ちそうもない疑問に日々悶々としています。
なんてね。
前向きに迷路に入る。
それが楽しかったりするー。