虐待問題はもはや個人や事業所での対策には限界があるかもしれない
先日、行政主催の障害者虐待防止研修に参加してきました。
そこではグループワークがあり、ある事例に対して
どれが虐待にあたるのか
虐待が起こる原因は何なのか
改善に向けてどうしたらいいのか
が話し合われた。
よくある光景。
グループ内の参加者全員が答えを知っていた。
風通しのいい職場作り
OJTをきちんと行う
利用者の視点に立って考える
支援技術を上げる
障害特性への理解を深める
虐待防止研修に参加する
etc.....
ってさ。みんなが分かりきったワードを並べて何の意味があるの?
障害福祉分野で働く人は、虐待防止研修への参加が義務付けられてるのだから、誰しもがある程度の知識は持っている。
だけど。だけども、虐待は発生するのです。
虐待をした支援者も事業所も、そんな知識は当然知っていて。
その上で虐待は起こってしまうのです。
もはや誰もが知っている知識を並べただけでは虐待は防げないと、私は思う。
虐待は個人のせいにしたところで何も変わりません。ヒューマンエラーを責めたところで、構造が変わらなければまた起きますから。
では事業所の問題かと言うと、事業所全体で取り組まなくてはならないことは確かです。
しかし、しかし。
その事業所の開設を承認した行政の責任はいずこに?
監督責任はないの?
虐待防止研修たるものを開催して、トップダウンで誰もが知ってる知識を並べるだけ。
そんなことで防げるとでも。
毎年同じ研修を行って、でも虐待は起こってしまう。
既存の知識・ルーティンの研修だけでは充分な対策にはなっていないかもしれない可能性を考えたことは?
そう。私は思う。
虐待は、もしかしたら、この脆い法制度にも問題があるのではと。
基本的に、福祉サービスの実施主体は市区町村であります。
障害者へ充分なサービスを提供しなくてはならない責を負っている行政が直接的なサービスを実施出来ない部分を、私たちが代わりに提供しているに過ぎないのです。
なので。つまりはサービスを委託した行政側にも非がないとは言えないし、任せる以上は、本当に適切なサービスを提供できる事業所かどうか常に監督しなくてはならないと思います。
虐待が起こった際も、ただただ他人事のように上から指導し、虐待の全ての原因を事業所 のせいだと決めつけるのではなく、
利用者へサービスを提供する側のチームメイトとして、一緒に反省し、悩み、考えてもらえないでしょうか。
虐待防止は新しいステージへと向かう必要があると私は思う。
そもそも。この制度に虐待が起こり得るリスクはないのか。
大した理念(私もないですが…)や人権意識もなく、利益追求のためだけに事業所を開設できるような法制度となっていないか。
今一度検証が必要だと感じる昨今です。
さてさて。そんな話はさておき。
個人レベルで大切なことは、
私も虐待してしまうかもしれない
と考えることだと思います。
私は絶対虐待なんかしないと思ってる人は、虐待のことなんて頭にないです。意識から外れているのです。
「だって私、虐待なんかしないもの」
と思っているから。
でもね、そういう支援者は自分の支援を振り返らないので、虐待のリスクは高まります。
逆に、
私も虐待しちゃうかもなぁ。気をつけないと。
と思っている支援者ほど、虐待しないよう日々意識して支援にあたるし、自らを振り返ることができるので、虐待のリスクは低くなります。
だってさぁ。支援者も一人のヒトですから。
たまには間違えることもありますよ。
大切なのは、間違えに気付けることと。
間違えたら、ごめんなさいと言える姿勢。
ごめんなさいとありがとうは魔法の言葉。
何が言いたいのか分からなくなっちゃったけど…
さぁNEWステージへ。
だって、いつも同じとこにいたらつまんないもんねー。
行ってダメなら戻ればいいし。