あの事件から2年 差別の構造
相模原殺傷事件から2年 被告、謝罪なく「人でないから殺人ではない」
との記事が、あちこちに。
そう。障害福祉分野で働く私たちが忘れてはならない、あの事件。
巷のSNSでは色んな論評があります。。
2年経っても被害者の実名を公表しようとしない被害者家族への批判。
被告はアブナイ精神障害者だという意見。
障害者は得体の知れない存在だし、重度障害者は働かず税金を使って生活している社会のお荷物だから、被告の主張も分からなくもないとの論。
被害者の顔のイラストが可愛いすぎて、テレビ制作側が印象操作している。本当の障害者はあんなに可愛いもんじゃないというメディア批判。
心が真っ暗に、どんより沈んで行きそうな気持ちになりますね。
この狭い日本社会でもこれだけたくさんの人たちが、障害者に対してマイナスイメージを持っているんだと。
苦しく。心底悲しく。自分の無力さに絶望しそうになります。
そう。しそうになるだけで、私は絶望はしません。
だって課題があったら、解決を目指せばいいだけですから。
さぁて、どこから手を出しちゃおうかな〜と、前を向きます。
それが私たちの仕事ですからね。
目の前の利用者のみならず、広く社会福祉の寄与増進に努めることが、福祉で働くソーシャルワーカーに課せられているのですから。
税金から給料の一部を頂いている以上、ミクロの視点(目の前の利用者支援)のみならず、マクロの視点(社会福祉への貢献)も忘れてはなりませぬ。
誰もが暮らしやすくなる社会へ、ありのままの自分と他者を受け入れる社会へ、
私たちがするべきことはたくさんあるようです。
今回の報道で気になることは山ほどあるのですが(被害者の顔が可愛いすぎて印象操作だ論→顔が可愛かろうが可愛くなかろうが一人の命であることに変わりはなく、どうでもいい程くだらない!)、
一番引っかかるのは、今も多くの被害者が実名公表されないこと。
被告もその事実に対し、「結局は障害者が身内にいることを隠したいんだ」と語っており、「障害者は人ではない」という被告の主張を暗に支持する形となってしまっている。
実名公表されない理由は、被害者家族が「知的障害者が家族であることが知られると、生活に影響が出かねない」とのことらしい。
差別。。。ですね。
差別を受けてきた人がより弱い人を差別するという、典型的な構図。
そう。私はこの現実に何回も直面してきた。
入所施設にいる利用者は、家族から家族扱いされていない方が多いです。
利用者を施設に入所させることには精力的に動いていたのにいざ入所すると、家族と急に連絡がとれなくなる…面会には一切来ない…
なんてね。まぁよくあるケースです。
でもだからといって、全て家族が悪い訳ではありません(ヒューマンエラーのせいにしたところで何も変わりませんから)。
家族がそうならざる得ない状況にした地域や社会の問題。
家族が入所後も家族でい続けられるようにソーシャルワーカー達は努力したのか。
そもそもね、実名を公表するかどうかを家族が決められるという法制度がオカシイ。
実名公表の権利を何故家族に委ねるのか。
法制度自体も障害者を差別してるじゃん。
障害者だって、自分で自分のことを決められるよ。
くっそー。こんな社会じゃいつまでも暮らしにくい。
社会的障壁め。うじゃうじゃしおって。
そりゃぁこんな事件起きるよ。被告と同じ考えの人いっぱいいるでしょ。
悔しい。
どうしてみんなで手を取り合えないの?
誰もがみんな、ありのままの自分を受け入れてもらいたいと思うでしょ。
だったら他者のありのままも受け入れようよ。
たったそれっぽっちのこと。
健常か障害かなんて関係ない。
手を繋げばいいだけのこと。
何が出来るか。決して諦めず。それぞれが出来ることを。
諦めたら世界は1ミリも変わらないのだから。