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しえんって何なんだブログ

良い支援とは? 答えのない問いに悩む日々。悩むだけじゃもったいないので、エンジョイしてみました。 質問は→質問箱https://t.co/Mm7zBhiSVp

期待とは…

昨日、小学生たちがこんな紙を持って帰ってきました。


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ん???

こんな子になってほしいという願い?




困った挙げ句、

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て、なりました。



親の願い?担任の願い?

いらないよ…そんなもの。


どんな人(子)になりたいかは、子ども達自身が自由に決めたらいい。

それを邪魔する権利は大人にも、誰にも、ない。。


期待するのは愛があるからだ、とか言う人もいるけど、

私はそうは思わない。

期待もね。心の中で思ってるだけならいいけれど、言葉にしてしまったら、もう重荷でしかない。

挙げ句の果て、勝手に期待したくせに、期待と違う結果になると裏切られたとか言うし。


期待すると、自然と枠が出来ちゃうことがある。そして枠は時として偏見や差別を産むこともある。


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必要なのは、信じることと、何があっても受け入れる姿勢。(と私は思ってる)

それがあれば、子どもは勝手に挑戦するし。失敗したって、傷付いて、いつのまにかまた立ち上がる。


利用者に対しても同じだと私は思う。

期待すると、それにより束縛されてしまうことがある。

それは、利用者はもちろん、支援者も。


利用者は束縛により身動きが取れなくなるし、支援者も自分が思い描くゴールに縛られて、どんどん凝り固まる。

息が詰まる上に、失敗がより一層怖くなる。

挙げ句、自分を責めたり。利用者を責めたり。



それよりか、もっと肩の力を抜きましょ。

夢はその人自身が見ればいいのです。だって夢を叶えるのは私達ではなく、本人なんだから。

周りが叶えさせちゃったら、それは夢とは言えないし。

だいたいね。勝手に期待したり、勝手に他人の将来を夢見たり。でも失敗しても責任取れないでしょ。



失敗したって、遠回りしたって、自分で見た夢を追う方がいいに決まってる。

それが明らかに失敗する夢でも、かなり無理がある夢でもいいのです。

夢を見ること事体を否定するのではなく、ダメだった時に受け止めてあげてほしい。



例えばね。障害特性から運転免許取得は難しいと思われる利用者さんに、「車の免許が取りたい」と言われたら。

それを否定するのではなく、その言葉の真意(ドライブが好きなのか?自由に外出がしたいのか?単純に車が好きなのか?公共交通機関が嫌いなのか?など)を探したり、

その為に何をすれば良いか(まずは交通ルールを覚える。精神科薬を減らせるように生活や気持ちを安定させる。一人で外出出来るように練習する。作業所にきちんと通って免許取得費用を貯める。など)を考えてあげてほしい。

また、本人と一緒に警察署や免許試験センターなどに行って免許取得について質問し、本人が納得できる答えを一緒に探してもいい。


ダメって言うことは簡単だけど。受け止めてあげることの方が、変な期待をするより、よっぽど愛だと思う。



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枠に入るのは簡単だけど。


枠を破って脱出するのは簡単じゃないから。


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当事者じゃない私達の勝手な思い・期待・縛り・枠を押し付けないで。

信じて、ありのままを受け入れてあげてほしい。


それが、当事者じゃない側の私達が、当事者を想うってこと=愛じゃないかなぁ。