期待とは…
昨日、小学生たちがこんな紙を持って帰ってきました。
ん???
こんな子になってほしいという願い?
困った挙げ句、
て、なりました。
親の願い?担任の願い?
いらないよ…そんなもの。
どんな人(子)になりたいかは、子ども達自身が自由に決めたらいい。
それを邪魔する権利は大人にも、誰にも、ない。。
期待するのは愛があるからだ、とか言う人もいるけど、
私はそうは思わない。
期待もね。心の中で思ってるだけならいいけれど、言葉にしてしまったら、もう重荷でしかない。
挙げ句の果て、勝手に期待したくせに、期待と違う結果になると裏切られたとか言うし。
期待すると、自然と枠が出来ちゃうことがある。そして枠は時として偏見や差別を産むこともある。
必要なのは、信じることと、何があっても受け入れる姿勢。(と私は思ってる)
それがあれば、子どもは勝手に挑戦するし。失敗したって、傷付いて、いつのまにかまた立ち上がる。
利用者に対しても同じだと私は思う。
期待すると、それにより束縛されてしまうことがある。
それは、利用者はもちろん、支援者も。
利用者は束縛により身動きが取れなくなるし、支援者も自分が思い描くゴールに縛られて、どんどん凝り固まる。
息が詰まる上に、失敗がより一層怖くなる。
挙げ句、自分を責めたり。利用者を責めたり。
それよりか、もっと肩の力を抜きましょ。
夢はその人自身が見ればいいのです。だって夢を叶えるのは私達ではなく、本人なんだから。
周りが叶えさせちゃったら、それは夢とは言えないし。
だいたいね。勝手に期待したり、勝手に他人の将来を夢見たり。でも失敗しても責任取れないでしょ。
失敗したって、遠回りしたって、自分で見た夢を追う方がいいに決まってる。
それが明らかに失敗する夢でも、かなり無理がある夢でもいいのです。
夢を見ること事体を否定するのではなく、ダメだった時に受け止めてあげてほしい。
例えばね。障害特性から運転免許取得は難しいと思われる利用者さんに、「車の免許が取りたい」と言われたら。
それを否定するのではなく、その言葉の真意(ドライブが好きなのか?自由に外出がしたいのか?単純に車が好きなのか?公共交通機関が嫌いなのか?など)を探したり、
その為に何をすれば良いか(まずは交通ルールを覚える。精神科薬を減らせるように生活や気持ちを安定させる。一人で外出出来るように練習する。作業所にきちんと通って免許取得費用を貯める。など)を考えてあげてほしい。
また、本人と一緒に警察署や免許試験センターなどに行って免許取得について質問し、本人が納得できる答えを一緒に探してもいい。
ダメって言うことは簡単だけど。受け止めてあげることの方が、変な期待をするより、よっぽど愛だと思う。
枠に入るのは簡単だけど。
枠を破って脱出するのは簡単じゃないから。
当事者じゃない私達の勝手な思い・期待・縛り・枠を押し付けないで。
信じて、ありのままを受け入れてあげてほしい。
それが、当事者じゃない側の私達が、当事者を想うってこと=愛じゃないかなぁ。