平等になるには平等の…
どんな人にとっても空は平等なはず。
でも、社会にはね、障がいを理由に隠れなくてはならない人、隠されてる人、隔離されてる人がたくさんいます。空の下に出てこれない人がたくさんいます。
そこには平等に空の下を堂々と歩けない理由があるのです。
差別や偏見の目や芽が社会にはたくさんあって、環境も整備されていません。社会的障壁って奴が立ちはだかっているのです。
と、まぁ真面目にお話ししてしまいましたが、
平等に生きたい、暮らしたいと感じてる障がい者は多くいますし、私もそうあってほしいと感じ、それを実現するために働いています。
だけどさ、平等って何だろう?
そうだ!平等に生きるためには、まずは社会に出て障がい者を知ってもらおう!と安直に考えた私は、ある知的障がい者に、お散歩しようと声をかけ一緒にお外に出かけました。
お外の空気は気持ちいいね、なんて一方的に声かけしているうちに、歩道横の素敵なお庭になっていたミカンをとって食べてしまいました。そして庭に生えていたお花をブチっと…やってしまいました。
そのお庭はキレイに整えられ、そのミカンの木も剪定されていて、とても大事に育てているんだとすぐに分かりました。
私はすぐにインターホンを押し、頭を下げ続けました。一緒にいた利用者は発語のない方なので謝罪を言葉で表すことは出来ません。
正直自分の行いに対しての理解がどこまであるのかも不明です。
あぁ、私が勝手に連れ出したのに、その利用者に罪を着させてしまった…
あぁ、こうやってさらに障がい者への視線をより冷たいものにしている私…
平等社会・共生社会を実現したいのに逆行させてしまった…
と心から反省しました。 一時は。
だけどさ、社会になかなか出られなかったせいで社会のルールを習得する機会を奪われていたんじゃないのかな?
と、しばらくしたら思い直してしまいました(反省が続かない奴でして…なんだかすみません)
平等になりたいと願うなら、もちろん合理的配慮を受けつつも、社会のルールを健常者同様に平等に科せられるのでは?
異論・反論は多々ありますが、障がい者が起こした事件や奇怪・残虐な事件の犯人が精神鑑定で障がいと判定された時、とっても罪が軽くなったり無罪になったりしますよね。
確かに障がい特性から暴力を振るってしまって傷害罪に問われたり、障がい者には性教育があまりなされないという現実の中でわいせつ行為をしてしまったり…
同情する点や犯罪に至った理由はよく理解出来ます。
だけどさ、だけど…
社会の中で平等に生きていくには、平等に社会のルールを守らなきゃと思う。
軽すぎる罪にも、平等に扱われてないんだな(障がい者だからやっちまっても多少は仕方ないみたいな)と感じるし、それはそれで人権侵害につながると考えてしまう
だって障がいがあるからって何をしてもいいわけじゃない。
色んな人がいていいんだけど、自由に色んなことをやっていいわけじゃない。
そこが、社会ってとこですよ。
この問題は本当にデリケートで、話題にすると炎上するやもですが、私個人は平等に罪を科されてもいいのではと感じます。科されている間には合理的配慮が必要ですが。
だってね、な〜にも悪いことしてない障がい者がほとんどなのに、極悪な事件が起きて精神鑑定で黒となると
やっぱりね… 障がい者はアブナイわ…
って思っちゃう一般市民もいるわけで。
そうすると平等に空の下を歩きたい。なんて想いは遠のくのですよ。
ここまで行くと平等に生きたいなんて想いは想いではなくなり、”夢”の域に来てしまいます。
障がい者でも悪いことをしてしまったらそれなりのお咎めを受け、学習や反省しないとね
と私は、私はですよ。感じます。
障がい者やグレーな方の再犯率の高さはそこからきている気がします。
平等になるために、平等にルールを守れるよう支援していきたいものです。
だからさ、失敗してもいいから外に出ようよぅ。社会のルールに触れてみようよ。
ちっちゃな失敗をいっぱいしたら案外大きな失敗はしないなんてこと、よくあるじゃん。
平等になるために、平等のルールを学習するために、平等に外の空気を吸って、私たちも平等に生きていることをアピールして。
間違っちゃったらごめんなさい
助けてもらったらありがとう
その繰り返しかな。
それは健常者でも一緒だよね。
失敗しながら失敗しなくなる。
久しぶりに真面目にとてもデリケートな話題にしちゃいました。大丈夫かな?ワキ汗出ちゃう…
あくまでも、あくまでも、私の私感ですからね(言い訳ばっかりのズルイ大人です。こんな汚ない大人にならぬよう利用者にはきちんと支援しましょう)