助け合いと殺し合い(前話のおまけ)
境界の話をしていたら、ふと5年前の出来事を思い出しました。
当時小学生1年だった男児が、風呂場で
助け合い と 殺し合い って、同じ「合い」なのに、なんでこんなに違うんだろう…
と独り言を話し、ひたすら悩み、1時間程風呂から出て来ずに他家族に多大な迷惑をかけたことがありました。
助け合う と 殺し合う。。
全然違うじゃん
って私も最初は思いました。ていうか今でも思います。
だけどさ、
互いに影響与え、互いに互いへ向けてアクションを起こすという意味では。まぁ同じと言えなくもない。互いに相手のことを考えないと出来ない行為だし。(内容は全然違うけど)
だって。ボーダー(境界)って曖昧なヤツですから。
殺し合いしているうちに助け合いし出すかもしれないし、その逆もしかり。
私たちなんて、そんな不確かなことばかりしている曖昧な存在。
だから誰かをどうこう判断するのではなく、互いの違いを楽しんで、凸凹を可愛がってあげませんか。
きっと周りも自分も楽になれる気がします。
とてつもなくどうでもいい小1男児の疑問でしたが、
案外そういうちっぽけな疑問が世界を平和にするかもね。
人って曖昧だけど。だからこそ無限の可能性があるのでは?
境界にこだわらない人が増えたら、
一歩平和に近づくような気がする今日この頃。
互いの違いや凸凹を認める障がい福祉分野。
平和へのヒントを産み出せる気がするのは私だけかなぁ。