厄介なこと。厄介なヤツ。厄払いしようかな。
めっきり寒くなって来ましたね。
最近は他機関との連携に勤しんでいます。
連携…
カッコいい言葉ですが、地味にそこそこ厄介です。
連携するってことは、言わばチームビルディングなのですが、
そもそもチームに入りたくない人もいるわけで。
通常なら、そんなモチベーションの低い方はチームに入らなくてもいいのですが、
他機関と連携するってことは、情報がほしいわけです。モチベーションの低い方こそ、隠れた情報を持ってたりするのですよ。
利用者の支援を組み立てる上で重要なのは情報。
支援を必要としている利用者やその家族は、発語の有無に関わらず、自分たちの状態をきちんと把握出来てない、きちんと説明出来ないことが多いのです。
それはパワーレスな環境に置かれているせいで、客観的に自分たちを捉えることが難しいからだと感じます。
そんな時、相談を受けていざ支援をと意気込むと、利用者や家族が捉えている全体像と他機関が把握している全体像が違うことが多々あり、支援に行き詰まるのです。
だからこそ連携、利用者を取り巻く大きなチーム作りが必要となってきます。
(さぁやっちゃうぞ~チームビルディング)
と、私は私なりに連携の必要性はとても感じているのですがね。
中には、
なんで情報提供しなきゃならないの。こっちは困ってないし。
やる意味が分からない。
勝手にやって。
忙しいからヤダ。
と、まさに昨日と今日言われました。公的機関の方(複数)に。
でもね、家族によっては、本人も兄弟も父も母も言ってることが違って、
どれが本当なの。何が真実なの。
と悩みます。
というか「情報」で悩まないことはないです。
例え家族間で意見の相違はないにせよ、聞いたままの情報で状況を把握するのではなく、
それが本当の全体像なの?
表面の課題だけしか見えてないだけじゃない?
と、心の弱い私は揺れます。
そして、もっと情報がほしい…誰か情報をください…と切に願います。
結果、連携しーちゃお
と思うわけです。だってどうせ支援場面では連携するんだし。
で、ケンカして衝突しながらも何度も掛け合い連携してみました。たくさんの情報が出ました。ようやく全体像が見え始めました。ちゃんちゃん♪
なーんてすんなり行かない。
情報を得て、えっ?そうなの?どっちが本当なの?と悩むことしばしば。
公的機関の方ですら、一方的に決めつけている意見(この時点でもはや情報とは言えません)しか言ってこなかったり。
情報が多すぎでも困惑し、困惑し、困惑し、とまどい、迷い…、
結果本人の意思を尊重する支援へと決める毎回。全体像がどうだとかぶっちぎって。
ていうか、結果はいつもそのパターンにも関わらず情報を集めるために連携という名のケンカや衝突ばかりおこして学習しない私。
案外、連携ってヤツより厄介かもね。
↑これ、なんなの?
へび?かめ?うなぎ?……??
色んな見方ができる。
一つの事象に対しても人によって捉え方が違う。そうすると人によって真実(情報)も違う。
厄介だぁね。
でも、「利用者にとっての最善の支援とは」との原点に立ち返ると、私は落ち着きます。ふぅ。落ち着くと道が見えてくる。(宗教ではないですよ)
ちなみに、最近一番心を痛めたひと言。公の機関の専門職と呼ばれる人が言った言葉。
「あぁ、このお母さんはね。虐待されてきたから自分の子にも虐待するんだよ。虐待は連鎖するから」
・・・・・決めつけないで。