希望はどうしたら見せてあげられるのだい?
相談支援をしていると、
先の見えない不安
いつ明けるか分からない深い闇
出口がないように見える長いトンネル
についてのお話を聞く機会が多いです。
そして、
何も希望が見えない
何も希望が持てない
と。
いっそ全てを捨ててしまいたい。
なんてこともね。
聞かせてもらっています。
うーむ。どうしたもんだろ?
ない頭でよく考えます。
出来る限りお話を傾聴し、フォーマル・インフォーマルな社会資源を提案し、つなげる。
なんて、お決まりの公式を使っても、希望ってヤツはなかなか持てないものです。
そもそもね、希望が見えなきゃ、いくら完璧な公式を提案しても、人は動こうとしないのです。
そして、動かなきゃ何も変わりません。そのことがさらに希望を見えなくするのです。変わらないことに希望は見い出しづらいですからね。
で、考えました。
どーすれば希望って持ってもらえるの?
どーすれば希望を見させてあげられるの?
ん?希望ってヤツの正体は何なんだ?
分かりませんでした…。
自分のドン底だった時期を思い出しても、希望が見えなくてしんどく、不安な時期が長くありました。いや、他人から見ると長くはなかったのかもしれませんが、私にはひたすら長く感じました。
で、何がターニングポイントとなったのか?
どうやって希望を見い出せたのか?
はっきりとは覚えてないけど…、これだって言う出来事は何にもなかった気がします。
ただ何となく。気付いたらトンネルを抜けてた…みたいな。
大それたアクションもしなかったし、大それたハプニングもなかったです。
そんなものなのかな。
晴れの日
雨の日
曇りの日
雷の日
雪の日
嵐の日
そしていつか晴れる…
ちがーう。そんなんじゃ何の答えにもなってないし。
でもきっとさ、希望ってヤツは、
他人様に見せてあげられる代物ではないのかもね。
その人自身、自分自身で見るものかもね。
悩みの渦中にいる人に対して、
大丈夫。私も昔もそうだったけど、いつかは笑える日が来るよ。
世の中にはもっと苦しんでいる人や過酷な環境に身を置いている人もいるよ。
なんてこと言う人、よく見かけます。私も言われたことがあります。
けれど、その言葉がかえって断崖へと背中を押すことになることもあるし、私もより一層に淵へと追いやられた過去があります。
そう。悲しみや痛みや苦しみに、大きい小さいはありません。
大したことない?じゃあ不必要に悩んでる当人が悪いのかいな。
いつか笑えるって。今笑えないから困ってるんだし。だいたい、いつかっていつよ?あなたはトンネルを抜けたかもしれないけど、当人は抜け出せないかもよ。だって出口見えてないんだから。
そんな風に、応援したつもりが逆効果を生むことも。難しいです。
だからね。その人の持つ力を信じて、ただ見守って、回復を待っていてほしいです。
希望をその人自身が見い出せる日まで、待っていてほしいです。
エンパワメント…。難題ですが、支援者としては根底に
この人にはこの課題を乗り越えるチカラがある
と信じるところから始まるのではないでしょうか。
たとえ当人自身が自分を信じられなくても、支援者は信じてあげてほしいです。
(信じるものは救われる・・・。ほら、また。宗教みたいになっちゃった。)
凧だってねぇ。風がなきゃ自分が走って風を起こせばなんとか飛ぶよ。
動かなきゃ何も変わらない…。
動かなきゃ凧も飛ばないのよ…。
たまにね、悩んでる利用者や家族に、”福笑い”してもらったり、”縄跳び”してもらったり。世間で言う「突拍子もないこと」をしてもらいます。危ないヤツと思われますが。
悩みと全然別次元のものにトライする。
そしてちょっとでも驚いたり、笑えたりする。
一瞬でも悩みから意識が離れたりする。
それが大事かなと思う今日この頃。
だって、動かなきゃ始まらないから。
驚く、笑う、こいつは危ないヤツだと思う…って心が"動く"ってことでしょ。