体罰。パワハラ。 何がいけないのかー支援の立場から
最近よく耳にする言葉。
体罰。
パワハラ。
暴力を伴う指導または躾。
虐待。
これらに対して、色んな意見があります。
賛否両論。
そりゃそーだ。
何事にも良い面も悪い面もあるんだから。
良い面があるからといって肯定されるもんでもない。
支援の現場において、上記ワードたちは、
絶対に許されない
と私は思います。私はね。
では、
何故許されないのか?
どうしてしてはいけないのか?
支援の立場から以下に3つお話しします。
1.本人にのみ非の責任を求める
そもそもね。体罰や暴言・暴力というのは、対象者が何か悪いことをしたorしなかったことが悪いetc...と、相手の非を責める時に行われることが多いです。
でもね。じゃあ、そうさせたあなたに責任はないのか?という論点がまず欠けています。自分の反省は置き去りに相手(利用者)にだけ罪を被せるのはnonsenseです。
大体ね、暴力や暴言って、自分がイライラしてなきゃやらないでしょ。自分の感情をコントロール出来ないくせに、そのことへの反省はないのかいな。
例えば、利用者が他利用者を叩いてしまったという事例。
→イライラさせる環境要因は?
→他に興味を惹く活動を提供出来なかったのか?
→暴力以外の意思表出方法を探る支援はしてきたか?
等々、探せばいくらでも本人以外に起因する要因はあります。
それらを考えずに本人を批判するのみでは、また同じことが繰り返し起きるでしょう。
だって、ヒューマンエラーのせいにしたところで根本的な解決には至りませんから。
2.それ(体罰や暴言・暴力など)以外の支援方法があるか考えていない
体罰や虐待ってね。一番安易で簡単な行為なんですよ。
思考停止しちゃってますからね。
でもね。何か起きてしまった時に、それ以外の方法で相手に伝える・改善を求めることは、とても根気のいることで努力が必要です。
また、相手以外の人(自分など)に原因はないかと考えたり、環境要因はないかと探すことは、勇気のいることだし、それらを改善の方向へ向けて変化させるには、とてつもないパワーが要ります。
けれど、それをしなくてはなりません。私たち支援者は。
だってプロフェッショナルですから。報酬をもらってサービスを提供しているのだから。
感情に任せて怒るだけなんて脳がないことをやってお金をもらうなんてこと、やめましょ。プライドってのは、こういうところで発揮するもんでしょ。
暴力や暴言で恐怖を与えたところでねぇ。恐怖に怯えることで事態が好転したように見えても、それは恐怖から逃れる為に本能的に動いているだけ。人間も生存本能がある"動物"ですから。
それらは事態改善への根本的な解決には繋がりません。
恐怖を与えることは支援ではないですし。
支援ってのは、壁にぶつかってばかり。悩んでばかり。光なんてそうそう差しません。
そう。悩み続ければいいんです。壁にぶつかっては違う支援方法を考え、考え、悩み、どツボにはまる、それでいいのです。
諦めない勇気を持ち続けることが私たちの仕事なのです。
100個の支援方法を試してダメだったら、101個目を考えればいいのです。
安易に暴力を振るうことは、悩むことを放棄しています。
支援者としての仕事(悩むこと)を放棄していることになります。
→こらぁ給料ドロボウ!
また、悩むことで得られる成長の機会を自分から奪ってしまいます。
3.サービスマンですよ?
私たち支援者も、指導者も、教育者も、
お金をもらってサービスを提供しているサービスマンですよ。
お客さんに暴力・暴言を浴びせるなんて。
言語道断であり、これ以上言及の必要もないでしょう。
忘れてはいけない視点です。
マウント(利用者の上に立つ)をとろうとしてはなりませぬ。
ん?
利用者より支援者がエライ?
生徒より先生がエライ?
子どもより大人がエライ?
んなわけない。
同じ"人"でしょ。
上下関係を作っているのは、思い込みとクダラナイ常識。
体罰、しちゃうのかい?
勿体ないよねぇ。
叩きたい程に自分の感情を揺さぶる壁がせっかく現れたのに、
考える・悩む というレベルアップの機会を享受しないなんて。
普段をちゃらんぽらんでふんわり過ごす為にも、
しめるところはキュキュっとしめて。
さぁ。ゴロゴロしましょうよ。