ワガママとコダワリ
ワガママとコダワリ。
支援の現場にいると、よく出くわすミステリーサークルです。
その言動が果たして、我がままなのか拘りなのか。。。
考えても考えても、言い切れるほどの確証はないし。
悩みますよね。
まぁ多分、見方が違うだけで、どっちとも取れるのでしょうけど。
けどさ。
大事にしてほしいのは、その言動をする本人が困っていないか、という視点。
生きづらさを抱えていたり、つまづきを抱えていたりしないか、をイマジネーションしてあげてほしい。
一つの事象でも、見る人の価値観やバックグラウンドによって色んな見方が出来て当然。だからもはや、我がままなのか拘りなのかなんてどうでもいい。
例えばね。
おやつの声かけを何度しても応じない利用者がいて。
「みんなと一緒じゃ嫌だ。一人で食べたい。」
と言われた。ワガママだと思いますか?コダワリだと思いますか?
その後その利用者にじっくり話を聞くと、「みんなと一緒だと恥ずかしくて食べられない。みんなが私を見ている気がする。それに、みんなの食べる音や袋を開ける音、話し声がいっぺんに頭の中で鳴り続けるから、騒がしくて食べる気にならないの。」
と言われたら、どう対応しますか?
ワガママだとか。コダワリだとか。
目の前の事象を何て形容するか、それは大した問題じゃなく。
大切なのは、そのアクションを起こす利用者の背景をイマジネーションすること。
何故その行動に至ったのか?
そうせざるを得ない原因は何なのか?
本人は困っていないか?
を想像すること。
それが、寄り添うってやつだと思います。
支援ってやつは
ワガママだとか言って、好き勝手に他者を決めつけたり、その行動が生じた理由を本人にのみ求めるようなヒューマンエラーのせいにするのではなく、
対象者がどういう気持ちなのか、何故そうせざるを得なかったのかを想像したり、相手から引き出したりして、
「辞めなさい」などと相手にばかり改善を強いるものではなく、
その行動をさせてしまった原因が自分たちにないだろうかと反省しつつ、
「どうしたら辞められるか」を一緒に考えたり、「辞めなくていい方法」や「別の表現方法」を探ること
なのかなぁと私は思います。
だってさ。
みんな誰しもが凸凹してる面があるでしょ。
私だったら、ワガママって切り捨てられたら悲しいもん。
で、自分がされて嫌なことを、他人には出来ないよね。
ただそれだけのこと。
じゃん♪